鹿嶋市で城といえば鹿島城ですが、そのほかにもいくつかの城があったとされています。
そのうちの一つが粟生城(あおうじょう)です。

粟生城(あおうじょう)は高松小学校から北東500mほどの場所にあったとされておりますが、いまでは城らしい形はなく消滅してしまっている状態です。

粟生城(あおうじょう)のあった場所は、平安時代には豊浦氏が築いて花山城(かざんじょう)と呼ばれていました。

その後、鎌倉時代に鹿島幹実が改修して居城としていましたが、弘治4年頃に粟生氏と石神氏の争いで廃城となってしまったそうです。

「粟生城跡入口」の標柱からあった場所から中に入っていくと堀切があり「やぐら」跡がいくつか空けられていましたが、現在では城らしい部分はほとんど残っていません。

以前は「粟生城跡入口」の標柱が建っていましたが、現在では「高松かるた」の表示板がありますが「粟生城跡入口」の標柱はなくなっていました。

「粟生城跡入口」の標柱
「粟生城跡入口」の標柱
「高松かるた」の表示板
「高松かるた」の表示板
10年前の粟生城跡
10年前の粟生城跡
現在の粟生城跡
現在の粟生城跡
10年前の粟生城「やぐら」跡
10年前の粟生城「やぐら」跡
現在の粟生城「やぐら」跡
現在の粟生城「やぐら」跡
10年前の粟生城跡
10年前の粟生城跡
現在の粟生城跡
現在の粟生城跡