鹿嶋市で城といえば鹿島城ですが、そのほかにもいくつかの城があったとされています。
そのうちの一つが龍会城(りゅうげじょう)です。

龍会城(りゅうげじょう)は鹿島氏が鹿島城へ移る前の城であったと言われています。
「りゅうげ」というのは「ようがい」がなまったものではないだろうかと考えられています。

戦国時代には龍会城(りゅうげじょう)の下まで海が入り込んでいて、龍会城(りゅうげじょう)が落城したとき、城内にいた女子供たちは下の湾に次々と身を投げていったという伝承が地元に残っているそうです。

龍会城(りゅうげじょう)は台地の縁を高さ2〜4mほどのかなり高い土塁が巡らされ、防御的な工夫が施された城だったとされています。

現在では、堀切などは耕作などによって隠滅してしまっています。

龍会城(りゅうげじょう)の東南側200mほどの所にも土塁のような構造物が見られ、さらに南側の台地端にも龍会城(りゅうげじょう)の付属施設といわれている土塁があるそうです。

鹿島神宮境内附郡家跡
龍会城(りゅうげじょう)標柱
鹿島神宮境内附郡家跡
龍会城(りゅうげじょう)跡を通る中道
鹿島神宮境内附郡家跡
遠くから見た龍会城(りゅうげじょう)跡
鹿島神宮境内附郡家跡
龍会城(りゅうげじょう)跡の現状