鹿島神宮境内附郡家跡(かしまじんぐうけいだいつけたりぐうけあと)
鹿島神郡役所が、奈良時代から平安時代にかけてここに置かれて、昭和五十四年度から昭和六十三年度の発掘調査によって、郡庁跡(ぐんちょうあと)・正倉院跡(しょうそういんあと)が発見されました。
郡庁跡は郡司などの役人が政務を行った中枢の建物群があったところで、正殿(せいでん)・前殿(ぜんでん)という建物が並列して配置され、その周囲に一辺約五十メートルの堀立柱回廊が巡るという全国でもめずらしい形態をとっています。
また、正倉院跡(しょうそういんあと)は、税として徴収した稲穀などを納める倉庫群があったところで、南北約百八メートル・東西約百五十メートルの方形の範囲に、幅約四メートルの大溝が巡り、その内部に約三十棟の倉庫があったと推定されています。
奈良時代に編纂された『常陸国風土記』の鹿島の条では、「社(鹿島神宮)の南に郡家(郡役所)あり』と記載されています。

鹿島神宮境内附郡家跡・正倉院跡

鹿島神宮境内附郡家跡・正倉院跡の説明板

調査も終わって広い野原となっています

鹿島神宮境内附郡家跡・正倉院跡