天朝井戸(てんちょういど)がある場所は、以前は神戸原の一部であったところで、鹿島神宮から水戸に通ずる「鹿島街道」があり、多くの人々がこの道を行き来していました。
明治時代に、新治県令の人見寧(ひとみやすし)が鹿島神宮参拝の途中この地を通り、飯島(鉾田市)から田谷(鹿嶋市)までの間、人家も無く、通行する人が大変難儀していることを思い、鹿島神宮参拝後に金一封を地元の郷士・荒野清右衛門(こうやせいえもん)に渡して井戸掘りを依頼されたそうです。
この井戸は旱天でも干上がることも無く、清水が湧き出るので、通行人が乾きを癒すことができるようになりました。
このことから、土地の人々は天朝さまのおかげだと「天朝井戸」と名付けたと伝えられています。
このおかげで井戸の周りには年毎に移住者も増えて「天朝(長)井戸集落」が発祥しました。
「天朝」をはばかって「天長」に改められたことがあり、区名を表す場合は現在ではどちらの漢字も併用されているそうです。
天朝井戸(てんちょういど)の場所:鹿嶋市大字青塚1179-3